礼拝説教「美しき足」 ローマの信徒への手紙(Romans) 10:14-17
週報巻頭言「美しき足」
本日の聖書箇所であるローマの信徒への手紙10章で、使徒パウロは「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」という言葉を引用しながら、これに続けて、その主の名を語り伝える人、宣べ伝える者がいなければ、どうしてそれを信じる者が起こされようと書きます。信仰は「聞くこと」によって始まるというのです。パウロの時代、聖書を読んで学ぶという習慣はありませんでした。なぜなら、聖書自体の数が少なく、しかも大変高価だったため、庶民には手が届かない代物だったのです。ゆえに、神の言葉を耳で聞くしかなかったのです。
続いて、パウロはイザヤ書の言葉を引用しながら「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と述べます。「足が美しい」とは、異常な表現ではないでしょうか。この時代、岩場や砂地が多いパレスチナの山々を行き巡ることは決してたやすいことではなく、むしろ困難で危険なことでした。しかも、人々は粗末な履物しか履いてなかったため、足元はほこりや泥で汚れ出血することも珍しくなかったのです。ところが、その足をイザヤは「美しい」といいます。それはどういうことか。本日はここに注意して、御言葉(みことば)に耳を傾けます。
●10月27日 週報巻頭言 牧師 木村一充
|