礼拝説教「預言者とその故郷」 マルコによる福音書(Marc) 6:1-6
週報巻頭言「預言者と故郷」
本日の箇所の前の章、マルコによる福音書5章で、カファルナウムの会堂長ヤイロの娘を癒された主イエスは、そのあと故郷のナザレにお帰りになりました。そこで、安息日をむかえ、会堂で、御言葉(みことば)を教えられ始めます。すると、多くの人々は「この人はこのようなことをどこから得たのだろう。…この人は、大工ではないか。」と言って、イエスの教えに耳を傾けようとしなかったばかりか、むしろイエスにつまずいたといいます。「つまずく」と訳される原語には、英語のスキャンダルの語源になっている動詞が使われています。その行為によって、多くの人を失望させ、或いはその信用を失ってしまうような行為をしたということです。
この事を、私たちはどう考えればよいでしょうか。イエスの華々しいカファルナウムでのデビューぶり、またその名声や預言者としての評判が、イエスの故郷、ナザレではそれほどよくなかったということを、私たちはどう捉えればよいのか。今朝は、ここに焦点をあてて、なぜイエスは故郷ナザレで人々に受け入れられなかったのかという理由について考えます。 そこから響いてくるメッセージに耳を傾けてゆきます。
●9月22日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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