礼拝説教「悲しみの道」 ルカによる福音書(Luke) 23:26-31
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週報巻頭言「悲しみの道」
受難節の最中を過ごしております。本日の聖書箇所は、ルカによる福音書23章ですが、ここはローマ総督ピラトによる裁判の結果、ローマへの反逆者として処刑されることになったイエスが、処刑場までの道を、十字架を背負って歩む場面が描かれています。この道は、通常ラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(「悲しみの道」の意)と呼ばれますが、石畳の多いおよそ500メートルの行程になります。しかし、この500メートルのあいだにイエスが語られた言葉が大変重い意味を持っています。それはエルサレムの娘たちに向かって語りかけた言葉でした。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」イエスの後をついて行ったこの婦人たちは、このような場面で泣くことを仕事として請け負っていたプロの「泣き女」と呼ばれる集団だったのではないかと言われます。彼女たちは、悲しみを演出するために神殿当局から雇われた婦人たちでありました。しかし、本当に悲しむべきはイエスのことではなく、自分と、その子どもたちだとイエスは言われたのです。
●3月17日 主日礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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