礼拝説教「目を覚ましていなさい」 マタイによる福音書(Matthew) 25:1-13
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「目を覚ましていなさい」
本日のマタイによる福音書25章には、花婿の到来を、夜通し油を灯して待っていた10人のおとめのたとえが書かれています。そのうちの5人は愚かで、後の5人は 賢明でした。というのは、花婿の来るのが遅れたので、皆眠り込んでしまったのですが、賢いおとめたちは油の用意があったために、花婿到来の知らせを聞いて、すぐにともし火を整えることができたのです。しかし、愚かなおとめのほうは、油を切らしてしまったため、ともし火を整えられなかった。つまり、花婿を出迎えることができなかったというのです。
ここで「花婿」とはだれのことか。また「油」とは何か、更に「花婿の到来」とは何を表しているのかが問われています。花婿の到来、それは「キリストの再臨」を差し示す言葉です。その日がなかなか来ない中で、多くのキリスト者は「眠りこけてしまう」状態になったわけです。しかし、賢いおとめたちは、油を用意していました。花婿が来た時の「備え」をしていたのです。『起きよ、夜は明けぬ』で知られる賛美歌が作られたのは、このマタイ福音書の記事によるものです。主の来臨に備える信仰を、本日学びます。
●11月26日 世界祈祷週間礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
|