礼拝説教「生き返った息子」 ルカによる福音書(Luke) 7:11-15
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週報巻頭言「生き返った息子」
本日の聖書の直前の場面であるカファルナウムという町で百人隊長の僕を癒したイエスは、その足でナインという町に移動されました。そこは、カファルナウムから南西に40キロほど離れたところにあり、かつて、旧約の預言者であるエリア、エリシャが活動した地域に属していました。
一行がその町の門に近づくと、ちょうどある母親の一人息子が死んで、その棺が担ぎ出されるところでした。その母親は、やもめであったと書かれます。聖書では、やもめに対して愛と憐れみをもって対応するようにと、一貫して記されています。ユダヤの社会では、やもめの立場はそれほどに低かったのです。
「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」と本日の13節に記されます。この聖書の御言葉(みことば)が、この朝わたしどもに語りかけられている聖句です。
愛する一人息子の死。夫を亡くした女性にとって、これほど悲しいことはありません。彼女にとって、息子は生きる希望であり、自分の命よりも大切な存在であったに違いないのです。その息子の棺を前にして、なぜ「もう泣かなくともよい」とイエスが語ることができたのか。今朝は、そこに焦点を当てて、御言葉(みことば)から聞きます。
●10月1日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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