礼拝説教「重荷を負い合う」"Carry Each Other's Burdens" ガラテヤの信徒への手紙(Galatians) 6:1-5
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週報巻頭言「重荷を負い合う」
本日のガラテヤ書6章で、パウロは教会の中で発生する「罪」について勧告しています。ここでパウロが用いている「パラプトーマ」という原語は、元々意図的に犯した罪をさすのではなく、凍結した路面やすべりやすい道で起きる「スリップ、踏み外し」を意味する言葉です。そのような「過ち」(こう訳した方がよい)に出くわしたとき、その人を正しい道に立ち返らせることこそ、キリスト者にふさわしい態度だというのです。
「霊に導かれて生きているあなたがた」という表現があります。ギリシャ語の動詞は、それ一つで主語の人称および単/複数を表しますから、「あなたがた」という言葉は書く必要がない言葉です。それなのに、なぜ「あなたがた」と書いたのか。それは、「霊の人」という呼び名がガラテヤの人々の自称であった可能性が高いためだと佐竹明氏は言います。パウロは、そのこと自体は一応肯的に受け止めながら、しかし「霊の人」であることが真に現実化するのは、過ちに陥った人を戒めるのに際し、柔和な心をもってするところにあると述べて、ガラテヤの人々が「霊の導きに従って生きる」ように求めるのです。
本日は、この箇所をもとに教会で重荷を担い合うことの大切さをみ言葉から聞きます。
●7月23日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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