礼拝説教「天にある故郷」 ヘブライ人への手紙 11:13-16
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週報巻頭言「召天者記念礼拝」
本日の礼拝は、先に天に召された方々のことを覚え、在りし時をしのびつつ、天上での永遠の平安を祈る「召天者記念礼拝」です。身近な人の死を経験することで、人間はいつか死ぬという厳粛な事実を目の当たりにするのはいつの世も同じです。しかし、イエス・キリストを主と信じる者は、死は人生の終わりではなく、新たな生の始まりであり、永遠の故郷である天国への旅立ちであることを信じます。それゆえ、人の死をあるがままに見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。
聖書の信仰によれば、死とは人間の魂が神のみもとに帰り、永遠のいのちに与かることであると信じます。それゆえ、死者の魂が永遠に安らかに憩うように祈りをささげることがおこなわれました。死者のために祈ることによって、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを信じるがゆえに、教会はキリスト教の初期時代から、死者を記念することを深い敬愛の心をもって尊び、死者のための礼拝や祈りをささげてきました。召天者を記念することは、先に召された人々を追憶し、それらの人々との交わりに与かることでもあります。
●11月 6日 召天者記念礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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