礼拝説教「来たれ、主の平和」 ミカ書 4:1-3
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週報巻頭言「平和祈念礼拝」
8月に入り、今年も8・15を迎えます。77年前のこの日の正午、昭和天皇によって、日本が連合国側の提示した「ポツダム宣言」を受け入れ、無条件降伏することが、ラジオで全国放送されました。戦争が終わったのです。
戦争の世紀と言われる20世紀が過ぎ去り、21世紀に入った今も戦争がおこなわれています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって約6か月になりますが、未だ停戦の見通しはついていません。新・旧約の聖書において「平和」は、その中心的なメッセージとして語り継がれました。旧約聖書には「平和」(シャーローム)という言葉が、全部で237回も使われています。まさに「最重要な言葉」の一つと言えましょう。
ギリシャ人は、平和を戦争のない「時間」として捉えました。しかし、ユダヤ人は、平和とは神の義(ツェダカ)、または神の真実(エメト)が、社会に満ち満ちている状態を指すと考えました。つまり、平和を神と人間の「関係」において捉えたのです。平和は自然に与えられるものではなく「作り出す」ものだったのです。
●8月14日 平和祈念礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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