礼拝説教「失望なき信仰」 マタイによる福音書 15:21-28
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週報巻頭言「祈祷会の学びより」
先週の祈祷会では、マルコによる福音書5章から、長血で苦しんでいた一人の女の癒し物語を学びました。当時のユダヤの社会では、このような女は不浄な女とされ、礼拝や日常生活の交わりから排除されていました。彼女は多くの医者にかかり、様々な治療を受けてきましたが、多額の散財にもかかわらず、少しも病気は良くなりませんでした。彼女は心も体も弱り果てていたことでしょう。
この女が群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの衣の裾にさわりました。するとどうでしょう。出血が止まり、病が癒されるのを感じたというのです。この物語から四つのことが読み取れます。第一は、彼女の、藁にもすがりたい「ご利益信仰」のような信仰さえもイエスは黙って受け入れてくださったということです。第二は、大勢の群衆に紛れ込んだ彼女を、イエスはone of themとしてではなく、only oneとして大切にされたということです。第三は、彼女の救いに寄せる切実な思いのゆえに、彼女は神によって「清いもの」にされたということです。そして第四は、その救いをもたらしたものが彼女の信仰だったということです。彼女は、信仰によって救われたのです。この女とは、実は私たち自身のことです。
●2月6日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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