礼拝説教「神のみ心を問う―ヨナ」 ヨナ書 3:1-10
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週報巻頭言「祈祷会の学びより」
先週の祈祷会では、マルコによる福音書5章から、ゲラサに住む悪霊に取りつかれた人が登場する箇所を通して、み言葉を学びました。そこで語られていることは、次のようなことでした。
第一は、この人が墓場を住みかとしていたという事実から読み取れる事柄です。それは、悪霊が働く所では、わたしたちは霊的な「死」の状態に陥ってしまうということです。人間関係の喪失、罪によってもたらされる人間関係の分断が、人を「生ける屍」にしてしまうのです。第二は、この人が鎖や足かせで縛られていたという事実から導き出せることです。即ち、悪霊が働く所では、人は自由でなくなり、不自由になるということです。イエス・キリストの光は、私たちを自由にします(ヨハネ福音書8章32節)。教会は自由を実感できる場所です。第三は、この人が石で自分の頭をたたいていたという事実から読み取れることです。これは自傷行為と言われる行動ですが、そうすることで、この人はSOSのサインを発信しています。自分はどうなってもいいと思っているのです。彼には、自分を受け入れる人が必要です。ありのままで、「自分は愛されている」と実感することが大事なのです。
●1月23日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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