礼拝説教「子どものようになる」 マルコ 10:13-16
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週報巻頭言「子ども祝福式」
「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。」(マルコ福音書10:13) イエスの時代において、ユダヤ人の母親たちが、有名なラビやすぐれた律法の教師に自分の子どもを祝福してもらうということは、ごく自然な行為でありました。特に、子どもの最初の誕生日(1歳の誕生日)に、母親たちはそのような人たちのところに子どもを連れて行ったといいます。本日のマルコ福音書に記される出来事も、そのような事情で起きた出来事だったと思われます。
ところが、これを見た弟子たちは「この人々を叱った」というのです。なぜ弟子たちはそうしたのでしょうか。おそらくこの時、弟子たちの頭の中が、主イエスの受難と死のことでいっぱいだったからです。主イエスご自身から、二度にわたる受難の予告(マルコ福音書8:31、9:31)を聞かされていた彼らは、前途に悲劇が迫っている困難な状況の中で、主イエスがこれ以上ほかのことで煩わされることがないようにと配慮して、母親たちを叱ったのでしょう。
しかし、イエスはこれを見て憤り「子どもたちをわたしのところに来るままにしておきなさい」と言われます。子どもたちへの祝福は、福音の宣教と、切り離すことのできないものだったのです。
●11月14日 子ども祝福礼拝 牧師 木村 一充
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