礼拝説教「天にある故郷を思う」 ヘブライ人への手紙 11:13-16
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週報巻頭言「天国にある住まい」
使徒パウロは、コリントの信徒への手紙二の5章1節以下で、「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています」と述べます。幕屋とはテントのことです。遊牧の民であるイスラエルは、家畜と共に草を求めて移動する生活をしながら、夜はテントを張って宿としました。その地の草を家畜が食べ尽くしたら、テントをたたみ、次の牧草地へ移動するのです。
パウロは、人間の肉体のことを「幕屋」に見立て、わたしたちの地上の幕屋が滅んでも、神が天に住まいを備えていてくださる、と言います。だから「わたしたちはいつも心強い」(二コリント5:6)と語り、主と共に生きる信仰に生きる者においては、「幕屋を脱いでも、裸のままではいない」と言うのです。
永遠の命とは、不死身の生、いつまでも死なない生のことを指すのではありません。そうではなく、神と共にある命を指します。地上を歩む間も、天に上げられた後も、わたしたちの命は神と共にある。だから、死がもはや最後の恐怖ではなくなるのです。本日の礼拝で、先に召された方々のことをおぼえ、御国にて相まみえる日を待ち望みつつ、これらの人を思い起こす記念の時を分かち合います。
●11月7日 召天者祈念礼拝 牧師 木村 一充
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