礼拝説教「ヤコブ―神の顔を見た者」 創世記 32:23-33
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週報巻頭言「ヤコブと天使との格闘」
創世記の32章には、父イサクを欺き、兄エサウから祝福を奪い取ったヤコブが、母の里であるパダン・アラムに逃亡し、そこで叔父ラバンのもとで14年間働いた後に、家族と多くの家畜を得て、カナンの地に帰って来たときのことが描かれています。カナンの地に帰還するに当たり、ヤコブがどうしても果たさねばならなかったことは、兄エサウとの和解でした。
ヤコブは、この夜ヤボク川のたもとにたどり着きます。この川はヨルダン川の支流で、ヨルダン川を越えると、そこはカナンの地です。ヤコブは、家族と家畜をすべて向こう岸に渡らせたのちに、ただ一人後に残りました。兄と再会する前に、かつて自分が犯した罪(兄を欺き、祝福を奪い取ったこと)を主なる神の前で悔い改めるためであったと思われます。
しかし、このときヤコブが行ったことは「何者かと夜明けまで組み打ちする」ということでした。自分自身の罪深さは百も承知していながら、素直になれない。あの「祝福」を、天使と格闘するようなしかたで、再び神から求めずにはいられない。それが、ヤコブの正直な姿でした。このヤコブの姿は、イスラエル民族の歴史をそのまま物語っています。この格闘でヤコブは神に勝ち切ることができず、神に股関節を外され、足を引きずりながら兄と再会します。兄エサウとの和解は、その「痛み」のなかで実現するのです。
●8月29日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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