✣ 永遠をあおぐ信仰 ✣
現代社会では「持続可能性」の追求が大きな課題となっています。これは地球環境、経済、社会のさまざまな問題が深刻化する中で、人類の生存・発展の永続性を求めていくことです。皆さんもどこかで「SDGs」という言葉を見聞きしたことはないですか。それら自体はとても大事なことです。しかし見落としていることがないでしょうか。一番大事なことです。それは、人間一人一人の「いのちの永続性」です。人はたとえ全世界の持続性を手に入れたとしても、生まれながらの人間には自分のいのちの持続性を得ることはできません。これに対して人は、毎日慌ただしく繰り返される「日常」の中にどっぷりと自分を埋没させることで、死という根源的な問いを忘却し、逃げてきました。この問題を直視することは耐えられないからです。
さて、人はどうしていのちを失うのか、そしてどうすれば永遠のいのちが得られるのか。この根源的な問いに対して、聖書は明確な答えを与えています。それが福音です。神は愛するひとり子を犠牲にすることによって、御子を信ずる者の罪の代価をすべて支払い、御子のもとに買い戻してくださいました。これによって罪赦されるものとされた私たちには、永遠のいのちが与えられることになりました。私たちの信仰も、この永遠の視座から考えていく必要があります。なぜなら、永遠の視座でなければ理解できないことが人生には少なくないからです。
●6月6日 神学校をおぼえる礼拝 週報巻頭言 神学生 柏 雅之
|