✣ 絶えることのない主の見守り ✣
「ヤハウェよ、あなたは私を探り、知ってくださる。/私が座すのも立つのも、あなたは知っておられる、遠くから、あなたはわが思いをわきまえられて。/私が出るのも入るのも、あなたは察してくださる。わが歩みのすべてを、あなたは承知しておられて。/じつに、わが舌にまだひとつの言辞さえなくとも、ヤハウェよ、あなたはすべてを知っておられる。/後ろからも前からも、あなたは私を囲み、わが上にあなたの掌をおいてくださった。/その知識は私にはあまりに不思議、あまりに高く、私には及びません。」(詩篇139:1後半〜6、月本明男訳、下線筆者)
この詩人は、「私」の行動も、心の奥底にある思いも、すべてをご存じで、祝福してくださる神が、小さな存在である「私」に思いを寄せてくださる不思議、神への思いを詠う。それだからこそ、「私」は神の前に自分を隠すことも、神から逃れることもできない(7節〜)。ヨハネ福音書に「弟子のシモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」、とある(21:7)。私たちは、恥ずかしい自分を隠そうとし、主から逃れようとする。しかし主は、私たちが隠れている間も愛をもって見守っておられ、水から上がって来るのを待っていてくださっていることを思う。
●10月27日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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