✣ 夜明け前 ✣
今日の宣教題について、ある方から「小説の題名からですか」と問われた。この題は、島崎藤村の小説で知られているからだ。しかし、宣教題はそれとは違う。恵泉教会の賛美グループ「アムハアレツ」(地の民)が、イザヤ書21章、詩編130編をもとにつくった歌の題からつけさせていただいた。
「東の空遠く 夜明けは来るのだろう
廃墟の片隅に 来るのだろう
来るのだろう
夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
望み待つ あしたは 来るのだろう
崩れた町に立ち 何を見たのだろう
夜中の今はもう 何どきになるのだろう
夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
望み待つ あしたは 来るのだろう
誰もが踏んできた 罪の代償を
自ら払うべき時が今 来たのだろう
夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
望み待つ あしたは 来るのだろう」
(詞・千野 肇)
現代における「廃墟」は、足元にも、世界のあちこちにも存在する。罪の現実、悲しみや苦しみの現実、希望を失いそうな現実の中で、わたしたちは救いを求める。
詩編130編の詩人は歌う。わたしの魂は、見張り(夜回り)が朝を待つにもまして、主を待ち望むのだ、と。
●10月20日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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