✣ たとえひとりであっても ✣
ヨセフ物語(37〜50章)の主人公ヨセフは、ヤコブの12人の息子の一人で、父のお気に入りの息子でした。彼は、兄たちから、「夢見るお方」と呼ばれているように、夢を見、判断することのできる能力がありました。ヨセフは少し生意気なところもありましたが、それ以上に、父の偏愛のゆえに兄たちから妬まれていました。やがて兄たちの妬みは高じて強い憎しみとなり、ついにヨセフを殺そうとたくらみます。
ところが、これを聞いた最年長の兄ルベンが、待ったをかけました。長兄としての責任感なのか、年下の者に対する優しさ、思いやりなのか。長兄であっても、敵意で一致している兄弟たちに、「殺すのは止めよう」と言うのは危険なことです。たとえ理にかなったことでも、集団の利益に反することを主張すれば、その矛先が一転して自分に向けられる恐れがあるからです。それにもかかわらず、ルベンは、ヨセフの命を取ることに「否」を主張しました。その勇気が、ヨセフの命を助けることになったのです。
集団の中で、多数派の意見と違う意見を言うのは本当に難しいことです。しかし、たとえひとりだけであったとしても、神のみ旨にそって自分の意見を言う勇気がもてるようにとルベンから教えられます。主よ、私たちにその勇気を与えてください。
●7月14日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
|