✣ 神さまのこどもとして ✣
私たちは、キリスト以前には、後見人や管理人の監督の下で奴隷状態にあった未成年の相続人に似て、律法の下に、そして「世を支配する諸霊」の下に隷属させられていたとパウロは言います。「諸霊」は、迷信的な考え方や偶像礼拝的な信仰という限られた意味だけでなく、一般的に広く人間を支配する力、「人を恐れさせ、無力感を与え、人に屈従を強いる」力という意味があります。そして、パウロは、イエスがこの世に遣わされたのは、律法や諸霊の支配下にある私たちをその十字架の死によって解放し、神の子としてくださるためであったと言うのです。
律法は、神からのラブレターだと言った人がいます。律法、すなわち神の戒め、掟は、本来神の人間への愛の法だからです。ところが律法主義に陥ると、律法を守り行うことができるかできないかで人間の価値が判断され、優越感、劣等感、差別、能力主義につながり、できない者のいのちが軽んじられ、取り残されていく。パウロは、律法遵守で人は救われない、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われるのだと主張します。
主イエスの十字架によって罪から解放され、神の子とされている者として、今日の社会で、キリストの自由に生き、自由を証しする歩みを志したいと思います。
●5月19日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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