✣ キリストを着る ✣
パウロは、ガラテヤの信徒たちが誤った福音理解に惑わされ、真の福音から離れていることを遺憾に思い、ガラテヤの諸教会宛に手紙を書きました。彼は、この手紙で、律法主義の誤りを強く非難します。そして、人は律法を行うこと(特に割礼)によって救われるのではなく、十字架で殺され、復活されたイエス・キリストを信じる信仰によって救われるのだということを、もう一度伝えようとするのです。
律法主義は、救いの根拠を自分の内に求め、自分の力や努力で、律法を守ることによって救いを受けられると考えます。自分の正しさを主張するために、そうでない人を必要とし、そこに差別が生まれ、民族、地位、性別などの間に分断をもたらします。
しかし、真の福音は、救いの根拠をイエス・キリストにのみ求めます。私たちの現実がどんなに情けなく、見苦しくても、キリストに結ばれ、キリストを着ることによって神の子とされるのだ、と。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(3:26)。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もなく、キリストにおいて一つであると、パウロは主にある希望を語るのです。
●5月12日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
|