✣ 絶望のなかから ✣
イエスは、十字架刑に処せられる二人の犯罪人の間で十字架につけられた。犯罪人の一人は十字架上でイエスをののしり、それをたしなめるもう一人の犯罪人は、自らの罪を認め、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」とイエスに願う。するとイエスは言われた。「アーメン、私はあなたに言う、あなたは今日(すでに)、私と共に楽園にいるだろう」(ルカ23:43 岩波訳)。
ルカ文書には、「今日」という単語が多く用いられている。ルカは、他にも、「この聖書の言葉は、今日、あなたが耳にしたとき、実現した」(4:21)、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい(19:5)…、今日、救いがこの家を訪れた(19:9)」、など、「今日」という単語を用いて一貫した救いを告げている。
今日の聖書箇所(23:43)のイエスの言葉は、イエス・キリストによる救いが、すでに今、ここに、あなたのために現われているということを告げている。そして、その救いというのは、絶望のどん底にあっても、神が常に共にいるという救いである。
私たちは、苦しみの中で、絶望のなかから、神が共におられるということに気づく。傍らに立つ主の十字架ゆえに。
●4月14日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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