✣ あきらめずに ✣
イエスは、祈りを教えてくださいとの弟子たちの求めに、「主の祈り」を示された(ルカ11:2〜4)。そしてそれに続けて「真夜中に隣家の扉を叩く人のたとえ」(5節以降)、「求めなさい、そうすれば与えられる」(9節以降)という言葉を語られている。
イエスが弟子たちに教えた「主の祈り」は、「われわれの祈り」である。自分ひとりのためではなく、隣人の切実な祈りに連帯してささげる祈りである。もちろん各自の必要を祈ることもゆるされている。が、ここで強調されているのは、自分以外の隣人の命にかかわる祈りと出会った時、言い訳をして逃げるのではなく、そこに踏みとどまって、共に主に求め、探し、門をたたくことだということである。自分たちには解決策など持っていない小さな者の祈りが、「ひとり」から「ふたり」へ、連帯してあきらめずに祈り続ける。その祈りを神は必ず聞き届けてくださるし、そのような人と人の出会いの中に聖霊の働きが伴うのだとイエスは宣言されるのである(13節)。
わたしたちは毎週礼拝で「主の祈り」を共にささげている。その時の「われら」とは具体的に誰をイメージして祈っているのだろうか。主イエスから問われているのではないだろうか。
●3月3日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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