✣ イエスと共に向こう岸へ ✣
ガリラヤは中心であるエルサレムから遠く離れた辺境地。イエスさまはこの辺境に固執し、湖の向こう岸を行き来されました。
悪霊に取りつかれた二人はイエスさまを「神の子」と認めつつも、「構わないでくれ、我々を苦しめるのか」と拒否しています。正体がさらけ出されることへの恐れであると同時に、「助けて」という切実な訴えなのでしょう。悪霊とは、限界を持つ宗教的価値観が絶対化される中で生まれた抑圧のことなのかも知れません。当時は律法遵守が強調されるあまり、命が軽んじられることが多々ありました。宗教的価値観にそぐわない者たちは病者同様に、あらゆる関係を絶たれ、生と死の境目で自らを痛めつけるしかない日々を強いられていました。そのような彼らを、人々は罪深く狂暴なやつと恐れ避けていたのでしょう。しかし、イエスさまは当時の宗教的価値観の下で窒息する彼らの痛みを憐れみ深く受け止め、二人の命を解放し生かしてくださったのです。
今日においてもイエスさまは「一緒に向こう岸へ」と私たち教会を招いてくださっています。人間や宗教が造り出した、正しい・正しくないという、隔たりを乗り越えて、主と共に向こう岸へ渡りつづけていく群れでありたいと切に祈ります。
●9月16日 週報巻頭言 魯 孝錬 (東京北キリスト教会 牧師)
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