イエスの眼差し

投稿日時 2018-01-18 20:02:34 | カテゴリ: メッセージ

✣ イエスの眼差し ✣

    マルコによる福音書3章1節以下には「手の萎えた人」が出てきます。彼は、手が萎えているのは自分の罪のせいだと言われ、人々から虐げられ、会堂の片隅に追いやられていたのです。しかし、イエス様はこの人に「真ん中に立ちなさい」と言われます(3節)。周囲の人々から虐げられ、肩身の狭い思いをし、いつも片隅に置かれていた人を中心に据える。それはまるで、この人の救いこそが礼拝の中心である…と宣言しているかのようです。イエス様のこの人を見る眼差しは、人々の非難の眼差しとは全く対照的です。その人を片隅に追いやるのではなく真ん中に置いて、馬鹿にし無視するような冷たい眼差しではなく、憐れみ受け入れ支えようとするあたたかい眼差しです。この世の価値観と神の国の価値観との違いが、ここに示されています。その眼差しの中で、彼の手は癒されていくのです。
    一方、その様子を非難の目で見ていた人たちの間に、「安息日」を巡っての問答が起こります。彼らは律法的な正義を振りかざすのですが、イエス様はそんな彼らに「怒り」と「悲しみ」を覚えるのです。安息日の律法を破ってでも、一人の人の命を救うことにこそ、イエス様の本当の思いがあるからです。
    本日の聖書の個所を通して示されるメッセージは、_燭問題を抱えたり、失敗したり間違えたりして、非難や批判を浴びなければならない人に対する、私たちの眼差しへの問いです。∋笋燭措身が問題を抱えたとき、私たちに注がれている、イエス様の眼差しです。私たちは、イエス様によって真ん中へと招かれています。

●1月21日 週報巻頭言 松 準(前・横浜JOYバプテスト教会 牧師)






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