✣ 主は与え、主は奪う ✣
栗ヶ沢教会の無牧師の期間が始まりました。つい三ヶ月前まで私は、そんな日が今日訪れるとは全く思ってもいませんでした。思えば私たちの人生は、そうしたことの繰り返しで成り立っているのではないか…と、改めて感じさせられます。
旧約聖書ヨブ記の冒頭の1-2章は、一人の信仰深い人間の人生が、神の試みによって、急転落していく物語を伝えています。
ヨブ記の主人公ヨブは、イスラエルの民ではない異邦人でしたが、地上の誰よりも主なる神を畏れて、主に悪とされることを避けて生きていました。そんな彼は神の祝福の中でとても裕福に暮らしていましたが、ある日突然、10人の子どもと全ての財産を奪われてしまいます(ヨブ1:13-19)。悲嘆にくれるヨブは、それでも神を呪うことはせずに、言います。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1:21)
私達がヨブの立場に立った時、同じように語ることができるでしょうか。苦難に遭った時、そこに神の大いなる意思が存在していると信じていても、「主よ、なぜですか!?」と言わずにはいられない…。そんな愚かな私達に、神様は御手を差し伸べてくれます。十字架の苦しみの後に復活された、キリスト・イエスの栄光を示して。
●10月1日 週報巻頭言 教会員 衣笠 壮
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