✣ わたしたちは主のもの ✣
榎本保郎著『新約聖書一日一章(ローマ人への手紙 P.281)』の一節が心に響きました。
『私が同志社に行っているとき、御所の庭で宗教部の集会が開かれた…20〜30名集まり…先生を迎えて話を聞いた。私は信仰を持っていない友人を一人連れていった…腰をおろして話を聞くことになったとき…先生は聖書と讃美歌を置いて、その上に腰をおろした。草のしみがつくからと思ってひょいとしたのである。そのとたん、私が連れていった友人は帰ってしまった。
聖書は一つの本であり…内容が大事…と言ってしまえばそれまでだが、人に対する配慮がなさすぎたと思った。人がつまずこうがどうしようが、わが道を行くというのではなく、信仰の弱い人のことを考えて、つまずかないようにしていくのが愛である。【キリストはその兄弟のために死んでくださったのです】(ロマ14:15新共同訳)。この言葉が、私の心が本当に開かれる一つの鍵となった。』
パウロはローマ教会にくすぶる問題に切り込みます。それは初代教会が抱える共通の悩みでした。キリストは違う意見の「あの人」のためにも十字架で死なれた。【キリストの愛がわたしたちを駆り立てている】(2コリント5:14)。だから、私たちは“光の子”として、互いに思いやりの心を持とう、というのです。
●6月18日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
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