✣ 苦難と忍耐、そして希望 ✣
『…ある人が「神は誰にでも宿題を与えておられる。こんな幸せな人はなかろうと思うような人も、体の丈夫な人も、家族の問題、事業の問題…いろいろの問題を持っている…その一つ一つを考えてみると、神から宿題を与えられているようなもの」と語っていた。
苦難をどのように受けとめ…そこから飛躍していくか…意味を見いだすことが大事…私たちは意味のないことを忍耐できない…意味を見いだすから…希望を持つ…。』(榎本保朗著「新約聖書一日一章」262頁より)。
使徒パウロは信仰義認に続いて、“神に義とされた人(キリストの十字架と復活を信じた人)”の生き方を語ります。特徴は、【神の栄光にあずかる希望を誇る】(ロマ5:2)こと、それに加えて【苦難をも誇る】(5:3)ことです。
なぜ苦難をも誇るのでしょうか? それは、“義とされた人”は【苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む】(5:3-4)ことを知っているから、とパウロは力強く語ります。
ここでいう【忍耐】とは、一人で頑張るのではなくキリストと共に苦難を生きること。【練達】は心の不純物を取り除かれて純化されること。その結果、“神の光”を見て本当の【希望】に満たされる。“義とされた人”は、「この世」ではなく【神を誇る】(5:11)。パウロの実体験による逆説の福音です。
●5月7日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
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