✣ すべてに勝る宝 ✣
マタイ福音書には「天の国」という言葉が度々使われています。これは他の福音書の「神の国」と同じ意味であると考えられています。いずれも「神の支配」を表しますが、二つの意味を持ちます。一つは、神は天地を創造した“被造物の世界の王”であること。もう一つは、神の支配の“未来の側面”。神は永遠の王ですが、現実の世界には罪と苦しみがあり、神の民にすれば「神の支配」は未だ完成されていません。そこで人々の期待は未来へ向かいます。「天の国」は、すでに(神が被造物を支配している)と未だ(これから完成する終末的期待)の緊張関係にあるのです。
イエスさまは「天の国」について多くのたとえを語りました。その内容は福音書が記された時代の教会が置かれた状況に重なる所から、迫害と戦う教会の人々に希望を与えているとも言われています。
きょう示された三つの『天国のたとえ』(マタイ13:44-50)も、この視点で読み解けば、イエスさまが弟子たちに教えた“福音の真髄”に近づけるかもしれません。最初のたとえ「畑に隠された宝」…イエスさまの恵みは隠されている。これに気づいた人の大きな喜びを伝えています。次の「高価な真珠を見つけた人」…罪人を探し出し、その一人を『すべてに勝る宝』と見なして、その人のためにすべてを投げ出す(十字架で贖罪の死を遂げる)イエスさまの愛が語られています。最後のたとえ「網に入った魚を選り分ける漁師」…弟子たちへの宣教命令です。最後の審判(結果)は神に任せて、福音を伝えなさい、と励ます。
●2月19日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
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