✣ 放置された歴史の清算 ✣
ダビデ王の治世のある時期に「飢饉」が3年続きました。現代なら気象条件等からその理由を合理的に説明できますが、これは三千年昔の世界の話です。当時の人々は、「飢餓(国家の災い)」は神の怒りの発露と考えました。ダビデ王が「飢饉」の理由を神に尋ねると、「先代サウル王の犯した罪が未解決」との答えがありました(サムエル下21:1)。
ダビデの時代から200年程昔、モーセの後継者ヨシュアは、カナン地方統治に際し、先住民(ギブオン人)との間に“和親条約”を結びました(ヨシュア記9章)。先代サウル王はこの約束を破り、命を守るべき人々を傷つけ、危害を加えたのです。これが「神への背信行為(罪)」とみなされました。「罪」を解決するには“償い”が必要です。それでサウル王家の生き残り7人が、先祖の「罪」の代償として処刑された、というのです。
この話は現代人には不可解です。しかし旧約聖書の世界では、「失われた命は、命で償う」のが正義とされたので、ダビデ王は罪解決のため、当時の正義を貫徹したのです。
それならキリスト教も同じか、と質問されそうです。…No ! 新約聖書は、“十字架で死んだキリスト”を信ぜよ、そうすればすべての「罪」が赦されて、“新しい世界が始まる”と教えています。
●7月24日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
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