✣ 霊性と理性とによって ✣
信仰があるからといって、祈っておけばすべてが上手く行くわけではありません。信仰があっても、冬になれば寒さに震えるし、夏は暑さに閉口します。人から何か言われれば腹も立つ。褒められたら嬉しい。信仰があっても、怒るときは怒るし、泣くときは泣きます。でも信仰があれば、それだけに囚われることはありません。信仰があると、“天の知恵(神の計画)”に気づくことが出来ます。
『ヨハネの黙示録』は、今から二千年昔、ローマ帝国下で激しい迫害の渦中にあったキリスト者に対して書かれたものです。彼らは試練の中で『黙示録』を読みました。謎めいた文書から“主は再び来る(キリスト再臨)”を読み取り、勝利が約束されていることを知り、心を励まされたのです。彼らは今の試練が神の勝利へつながっていると受けとめました。「この試練は勝利の前兆」と考えたのです。これが“天の知恵”です。
『キリスト教信仰は、主の再臨に焦点を合わせていくものであって、今どういうふうに生きていくかは、結果として生まれて来るものである。結果と目的を間違えてはならない。…問題が起きたときに、なお、そこで神を賛美できるところに、キリスト信者の信仰の力、証しがあると思う。』(榎本保郎著「新約聖書一日一章」574頁)【神を礼拝せよ】(黙19:10)
●5月15日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
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