✣ 砕かれる幸い ✣
イエスさまから弟子になるように招きを受けたフィリポは、友人ナタナエルに待望の救い主(メシア)に出会ったと伝えました。「ナザレ人イエスがメシアだ!」と嬉しそうに語るフィリポ。しかし、ナタナエルはその喜びを見事に否定します。
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)。こう考えるナタナエルには、偉大なメシアとナザレ人イエスが結びつきません。では、否定されたフィリポはどうしたか。疑心暗鬼のナタナエルに、「来て、見なさい」(1:46)と言ってイエスさまの所へ連れて行きました。ここに見落とせない“伝道の知恵”があります。イエスさまに直接引き合わせる。どんな説明や議論よりも説得力のある伝道です。フィリポは自分でジタバタしない。彼は“賢い人”でした。
彼らはイエスさまに会うために、イエスさまがいる所へ向かいます。一方、イエスさまも近づいて来る二人に目をとめます。ここでお互いが向き合う。向き合うとき、出会いが生じます。ナタナエルはイエスさまのことを何も知りません。しかしイエスさまはナタナエルを見ると、昔から知っているかのように親しく言葉をかけました。
彼らはどんな対話をしたのでしょうか? この直後にナタナエルは、「あなたは神の子です」と、素直に告白します。
●12月27日 週報巻頭言 山田 幸男
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