✣ 破れ口に立って ✣
「自分は生きていて良いのだろうか」。絶望状況に押しつぶされた18歳の少年がつぶやいた呻き。不安や不信にさいなまれ、自信を失い、「生きていたい」という気持ちさえ分からなくなる。いったい、何を支えとしたら良いのか。本当に、生きるだけの価値が私にあるのか。この世は生きるだけの意味があるのか。
聖書には、「破れ口に立つ」という言葉がある。「破れ口」。この言葉はもともと、城壁に関する言葉である。敵が、町の城壁を取り囲み、攻めてきた時に、一番に突破されやすい城壁の弱い部分。そこを攻撃されると、城がすぐにも陥落してしまう守りの弱い部分。それを「破れ口」と呼んでいる。人間に例えれば、私にとって言い訳が出来ないような弱さや傷、そして罪のことである。一人ひとり、少し胸に手を当てれば、自分の「破れ口」がたくさんあることに気づく。誰かがその「破れ口」を突いてくると、もう何も言えなくなるようなそんな私たちの最も弱い部分、人間存在が破綻するところ。
私のその「破れ口」に立って、守って下さる方がいる。聖書が繰り返し語り続けているメッセージである。
●10月18日 週報より
秋の特別伝道礼拝講師 播磨 聡(日本バプテスト広島キリスト教会牧師)
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