祈りにつくられる
祈りは信仰生活の核心です。祈りによって、私自身がつくられ、人生がつくられていきます。けれども、自分自身がつくられない祈りもあります。それは、自分が先に置かれていて、自分の栄光や自分の必要のために始められてしまう祈りです。イエス様は、そんな倒錯した祈りの姿勢を、「偽善者の祈り」とか「異邦人の祈り」と象徴的に語っておられます。(マタイ福音書6:5-8)
どこで祈るか、誰に見られるか。もし祈るときにそれが問題になってしまうなら、誰と向かい合うかが消え去っていきます。何を求めるかが、すでに自分の中で決まってしまっているならば、神との対話ではありません。そうした祈りによって、自分が変えられたり、自分が新しくなることは起こりません。
祈るなら、祈るとき、まっすぐ神と向かい合うことと、私に必要なものを真に知りたもう方と対話すること、それが祈りだとイエス様はおっしゃいます。そして、祈りの中で、その人の生がつくられていく祈りとして「主の祈り」を教えてくださったのです。 牧師 吉高 叶
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