✣ 天からのパンと人の罪 ✣
エジプトから脱出して二か月後、イスラエルの民は荒れ野での生活に不満を抱き、リーダーのモーセとアロンに不満をぶつけます。「エジプトでは、肉もパンも、お腹いっぱい食べられたのに、今は荒れ野で飢え死にしそうだ…。」(出エジプト16:3)。
人々は、そもそも、羊や牛など多数の家畜を連れてエジプトを出発しました(12:38参照)。肉が食べたければ家畜をほふって食べることも出来ました。また、彼らは過去を美化し過ぎています。エジプトでの過酷な奴隷生活の最中に、肉鍋を囲む余裕など無かった。惨めな生活に耐えられないから、脱出したのではありませんか。
モーセとアロンに投げつけた不平不満は、八方塞がりのとき紅海に道を開き、渇いたときに水を備えて体も心も癒してくれた神(ヤハウエ)に対するつぶやきでした。こうした不遜な態度に、神は必ず怒りを向けます。
ところが、このとき神は怒らない。忍耐強く、恵み深いのです。ここから読み取れる『信仰のメッセージ』は“神の慈しみ”です。人々は目先の試練に心奪われ、混乱する。このままでは神に感謝出来ません。これが「忘恩の罪」です。我々も例外ではない。が、新約聖書ではこの「罪」が“キリストの十字架”で裁かれます。
●8月2日 週報巻頭言 山田 幸男
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