✣ 相手の「大切」を理解する ✣
私たちは人とかかわるときに、自分の考えや自己流のやり方を、つい押しつけてしまうことがあるのではないでしょうか。「あなたはこうしなさい」「こうあるべきだ」と言って、時には、きつい言葉で隣人を責めてしまうのです。なぜ、そんなことになるのでしょうか。
理由は明らかです。私たちの心が“豊かさ”を失っているからです。心が何かに縛られているのです。それは、自分が描く理想、勝手な思い込み、優れた人との比較による劣等感かもしれません。隣人に対して「こうすべきだ」「こうあるべきだ」と注文をつけるだけでは、相手を苦しめるばかりでなく、自分も嫌な思いをして、二重の苦しみを背負うことになります。こうした心の縛りを自分の力で解決するのは容易ではありません。それではどうすれば良いのでしょうか。
きょうの聖書『エルサレムの使徒会議(使徒15章)』は、初代教会の人々も現代人と同じように、理想や自己流を振りかざしては衝突し、葛藤した様子を伝えています。
これを解決したのは、“喜びの種をまく人々”でした。“豊かさ”を失わないために、“キリストの十字架”へ向き直る人々、“イエスの教え(御言葉)”に聞く人々です。“聖霊”が働くと、現代人も、悔いる心は癒され、立ち上がる力が与えられます。
●5月3日 週報巻頭言 山田 幸男
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