✣ 自己流正義の限界 ✣
ある日の新聞に、『腐ったと誤解 蜜入りリンゴ』という投稿記事がありました。笑ったあとで、少し考えさせられました。内容を要約して紹介します。
『二十数年前、長野県に住む兄夫妻から木箱に入ったリンゴが届いた。三人の子供が見守る中、一個を半分に割った。「だめだ。腐っている」。子供たちの期待はため息に変わり、届いたばかりのリンゴは生ゴミに…。兄夫妻にリンゴが腐っていたと言えず、「ありがとう」とだけ伝えた。
翌年、またリンゴが届いた。友人に見せると、「すごいリンゴだなあ。本場の高級リンゴだ」と言った。私はリンゴの皮をむくと中は真っ白と信じていたが、「腐っている」と思い込んでいたのはリンゴの蜜だったのだ。友人に教わらなかったら、二十数年間、毎年贈られて来たリンゴをためらいもなく捨てていたと思う。友人は、長野の兄さんが腐ったリンゴを贈ると発想するお前の脳の方が腐っている、と笑った。』(2008年7月9日朝日新聞「声」より)
「知ってるつもり」「決めつけ」「思い込み」がとんでもない「的外れ」の結末を招きます。十字架の光は「私の的外れ」に気づかせてくれます。他人ごとのように笑っているあなたは大丈夫ですか?
●2月8日 週報巻頭言 山田 幸男
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