✣ 恐れるな ✣
私たちは「自分を認められたい」と常に願っています。これは人間の自然な欲求であり、決して悪いことではありません。もし問題があるとすれば、「他の人よりも上に立つことが神さまの御こころ」であるかのように錯覚してしまうこと、或いは、「成功や勝利だけが神さまの祝福」であるかのような思い違いをしてしまうことです。
二千年昔、高貴な“神の子キリスト”はベツレヘムの馬小屋(家畜小屋)にお生まれになりました。“神の子”なら、エルサレムの立派な神殿か、豪華な王宮に生まれる方がふさわしいのではないか。なぜ粗末な場所にお生まれになったのでしょうか。
その理由は、そこは誰でも来られる場所だからです。新約聖書にこうあります。『キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって…十字架の死に至るまで従順でした。』(フィリピ2:6‐8)。
人は上へ昇ることによって栄光を得ようとします。ところが、“キリスト”は下へ降ることによって栄光を現しました。自ら消耗して、周囲を照らすロウソクの灯のように、静かに輝き続けます。
●12月21日 週報巻頭言 山田 幸男
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