苦難のしもべによって

投稿日時 2014-11-06 17:05:58 | カテゴリ: メッセージ

✣ 苦難のしもべによって ✣

    今頃の季節になると綺麗に着飾った子どもたちを見かけます。「七五三」のお宮参りでしょうか。わが子の成長を喜び祝う。日本人に限りません。どこの国でも、どんな親でも、すべての親がわが子の健やかな成長と、その人生の祝福を願っています。
    日本人は物事をはっきりさせるのを好まない民族であるとの批判があります。かくいう私も日本人。確かに私にも「曖昧(あいまい)」なところがあります。灰色の部分を残したまま、事柄を右から左へ流してしまうのです。
    人々は、その意味を考えもせず年中行事のひとつとして「七五三」を神社で行います。また、お彼岸の頃になれば、「みんなが墓参りに行くから…」と、自分の宗教(宗旨)は「曖昧」のまま、信じてもいない世俗の習慣に歩調を合わせる。家庭で、職場で、学校で、あらゆる場所で「曖昧」がまかり通っています。そこには、「なあなあ…まあまあ…」で事柄を済ませている「私」がいるのです。さらに、そんな「私」に対して何の疑問も感じない「私」がいる。それで良いと思っているのです。
    「政治も経済も、教育も福祉も、世の中はみんないい加減だ!」と立派な批判をしながら、ゴミの捨て方はまるでいい加減な「私」がいる。問題の根はどこにあるのでしょう?旧約聖書の預言者が現代を問う。

●11月9日 週報巻頭言 山田 幸男 






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