✣ 十字架 〜 その愛 ✣
“ローマの信徒への手紙”の著者パウロは自由な人でした。その自由には特徴があります。福音の本質にかかわることは一歩も譲りません。しかし中心から離れたこと、それほど重要でないことには譲歩します。
パウロはコリント教会へ宛てた手紙に『…ただ、あなたがたのこの自由な態度が弱い人を罪に誘うことにならないように気をつけなさい』(1コリント8:9)と記しています。キリストを信じた人は、どんなことにも自由です。でも、その自由を賢く用いる知恵を持ちたいのです。パウロは自由を説くだけでなく、自分自身も弱い人々の「躓(つまず)き」にならないように“自制”しました。パウロ流の“愛のあらわし方”のひとつです。「愛をあらわす」というと、誰かに何かをしてあげることを考えるのが私たちの常ですが、パウロのように“自制”する。これも“立派な隣人愛”です。
私たちは「枝葉末節」にとらわれて自由を失っていないでしょうか。“喜びの福音”を「躓きの石」にしていないでしょうか。自己満足追及に夢中になる…安易な妥協を重ねる…これでは「古い殻(罪)」が硬くなるばかりです。“キリストの十字架”に目を向けましょう。“十字架”と向き合うとき、人は本当の自由を得るのです。
●10月5日 週報巻頭言 山田 幸男
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