✣ 神に導かれて ✣
聖書には、あれをするな、これをするなと、口うるさい戒めがたくさん書いてあると誤解されているようです。そんなことはありません。聖書の内容を一言でいえば、人間の「罪の現実」と、その罪に苦しむ者を憐れむ“神の愛”の歴史、その記録です。
礼拝で取り上げている旧約聖書・創世記の族長物語は、今から3500年から4000年も昔の出来事を伝えています。大昔のお話なのに、現代の私たちに無関係とは思えない、まるで自分のことを言われているような話が続きます。世俗の週刊誌も顔負けの「神の民のスキャンダル」が、あちこちに記されています。すべて人間の「罪の現実」です。そうした悲惨な現実を人々がどのように乗り越えたかを知る。聖書を読む醍醐味のひとつです。創世記の族長たちは「自分の恥」をさらしながら、同時に、“神を深く知る”体験をしている。これは驚きです。
人が神(キリスト)の方へ向き直ることを、聖書は“悔い改め”と呼んでいます。悔い改めは、一般的には反省することを意味しますが、聖書的“悔い改め”は、ただ反省して小さくなって終わるのではなく、新しい力に満たされて再び立ち上がることです。神の方へ向き直れば、どんな人でも新しい力に満たされます。
●9月28日 週報巻頭言 山田 幸男
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