✣ あなたたちも行きなさい ✣
聖書には天国についてのたとえばなしがいくつもあります。ぶどう園の主人が夜明けとともに労働者を雇いに出かけるようなものだというのもその一つです。夕方になって賃金が全員に同じ額支払われますがその際、朝一番に雇われた者がその支払われ方に納得ができずに不平を言います。能力主義や経験重視の現代を生きる私たちにはそれは当然のように思われ、ついそちら側に心が行ってしまいます。しかしこの話は園で働く労働者の働き具合や支払われた賃金の額のことではありません。夜明けに、九時に十二時に、三時に五時にと、何度も自ら広場に出かけて行って、働きたい者をぶどう園に招いている園の主人の様子が神の国のようだと述べられているのです。
神さまは罪の赦しと救いを一方的な恵みとして下さるために私たちを招いていらっしゃいます。個人を評価する一切のものや時間的な後、先などとは無関係に、ただ慈しみによって招いて下さっているのです。
「神は独子を賜ふ程に世を愛し給へり。すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得んためなり。」(文語訳ヨハネ3:16)
母が神さまの話をしてくれた時、私が初めて出会った聖句(みことば)です。
●8月24日 週報巻頭言 佐藤 満子
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