✣ 忍耐から希望へ✣
信仰に「決めつけ」は禁物です。神さまのなさることは、人間の目には不思議に 見えるものです。聖書が伝える神さまは、その辺に転がっている山の神々、海の神々とはまったく違う天地の創造主です。創造主のなさることは、私たち人間の「理性の枠」では捕えきれません。それを無理やり分かろうとする、合理的に説明しようとするから、益々混乱して分からなくなるのです。信仰の歩みで大切なことは“発想の転換”です。一般的には、人が神さまをつかむ(神さまにしがみつく)ことが信仰だと思われています。ところが、聖書に登場する信仰者をみると、彼らが神さまをつかむよりも前に、神さま(天地の創造主)が人々を捕えていることに気づかされます。“神さまの絶対恩寵”を知る。これが聖書の伝える信仰です。人生のコペルニクス的転回とでもいうべき“発想の転換”です。人生は、私を中心に動いているように見える。しかし、実際には、天地の創造主が中心で、その周りを、この私だけでなく、あの人も、この人も動いている。“神の摂理(天地創造主の計画)”がある。その中に、この私も存在する。その私を通して“善いもの(恵み)”が人々にあらわされる。ここに希望があるのです。
●7月20日 週報巻頭言 山田 幸男
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