『祈り求め、幻を示されつつ』
メッセージの準備のため、今日の聖書箇所に向き合い、どう語ろうかとため息をつく毎日。そのような時『青少年がつくる礼拝』が捧げられました。礼拝の中で青年たちの「幻」についての証しが語られました。
聖書に登場する「幻」という言葉は、「主からの啓示」という私たちが日常使う「まぼろし」とはまったく違う意味をもっています。また今日の聖書箇所である「ヨハネの黙示録」の「黙示」にも同様の意味があります。そのようなことを礼拝後の教会学校で改めて知らされ、心の中の何かがつながって、また聖書に向かうと…。
ヨハネはその信仰のゆえに、流刑地であるパトモス島で囚われの身となっています。ある日聖霊に満たされたヨハネの眼前に主の幻が現れます。この場面で知らされるのは、幻とは神と私の心が呼応するときに具体的な像を結ぶものであるということ、神からの使命は今私が立っているその場にあるということです。
存在しないのに存在するように語られるもの。これが私たちの言う幻の本来の意味。その幻を神からの啓示として受けるためには、聖書を手に取り、御言葉と出会っていかなければなりません。
●2月9日週報巻頭言 入江 恵里子
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