【それでも、私は永遠を思う】
誰でも多かれ少なかれ、わが身や周辺が直面した出来事に理不尽な思いを抱いた経験はあるでしょう。
「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」。コヘレトも神へ思いをぶつけます。成功も財産も、そして知恵さえも、己と創造主との間を近づけることはできないことを思い知った者の言葉です。人の知恵では、自身や社会に次々と降りかかる不条理に答えを見出すことができないのです。
しかし無力を知らされる一方で、コヘレトは自分に永遠を思い慕う心を主から与えられていることに気づかされ、この訳のわからぬ目の前の出来事にも、永遠なる存在からの意味付けがされているのだという希望を見出していきます。
私たちは、コヘレトに増してこの希望を信頼することができます。十字架の死という不条理が復活によって永遠の命となったことを知らされているからです。
神との間に深い溝を見て、「むなしい」と叫んでしまいそうになる時、イエスさまは私たちのもとへ向こう岸から渡って来てくださいます。だから、私たちにも「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とイエスさまと一緒に宣言する日が、いつか訪れることを信じます。
●10月27日 週報巻頭言 入江恵里子
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