『われもし死ぬべくば死ぬべし』
エステル記のお話から三つのことを学ぶことができます。
一つ目はモルデガイの神への信仰です。そこには「神の御約束」と「神の摂理」への信仰が現わされています。
この神の御約束とは、神は選びの民を必ず守り、助け、救われることです。そして、エステル記の中心テーマになるのが神の摂理であり、神はご自身のみわざを進めるために摂理の道具としての器を用いられるということです。「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」のモルデガイの言葉の中に「摂理信仰」がはっきりとあらわされています。
二つ目の学びはエステルの神への全き信頼です。「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」というこの言葉に象徴されています。
三つ目の学びは選びの民のとりなしの祈りについてです。「このために死ななければならないのでしたら」と死をも御手にゆだね、エステルは王の前に出るためにスサのすべてのユダヤ人にとりなしの祈りを依頼しました。
これによって、神の前の働き手はモルデガイやエステルと言った特定の器だけでなく、すべてのユダヤ人が器として用いられたのです。
●9月22日週報巻頭言 前野 一郎
|