【この神は救い主、助け主】
今日の聖書箇所に私たちが直接出会ったとすれば、恐らく事件の進展が恐ろしくて、簡単には読めないのではないか。ダレイオス王の思いと、我々の思いと重なる所があるのではないか。実に緊迫した出来事である。我々の人生も神に助けられっぱなしなのではないか。
「神様の物語をものがたる」という聖書教育の総主題は、「聖書は神の救いの歴史である。」に基づいている。今日のダニエル書6章も、救いの歴史の中の一幕である。この先は恐ろしくて読みたくもない、と思える箇所も神の救いの歴史から漏れることはない。
ダニエルは神の御業によって、無傷で助かる。ダニエルを陥れようとした連中は、ライオンに骨までも噛み砕かれてしまう。彼らは悪い奴だが、ライオンの餌食になったでは、神はそれでも愛の神かと批判の声が出そうである。しかし、聖書の何処にそういうことが書いてあるか。
神はそれほどお人よしではない。もっとも、死後の彼らが将来どうなるかは、聖書はここでは沈黙している。そんなことより、ダレイオス王が「この神はいける神、世々にいまし、主の主権は滅びることなく、 ……」と、主を誉め讃える者となったということこそ大事である。
●8月25日 週報巻頭言 松倉治
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