【弱さから組み立てられる】
祈っても祈っても、その身から取り去られることのなかったとげ。当時パウロがどのような弱さの中に苦しんでいたのかわかりませんが、今を生きている私たちに対しても、とても乗り越えることができない、とその場にうずくまってしまうような弱さのとげが与えられること・与えられていることがあります。何千、何万回と祈り、長期間にわたって祈り、もう心身がしびれきって、その感覚すらも失ってしまうほどに祈っても、解決されない私の弱さ、苦しみ。「もうどうやって祈ってよいのかわからない」。私のそのような呻きにイエスさまは応えられます。「その弱さの中にこそ、私の居場所がある。そここそ私があなたにあらわされる場所である」と。イエスさまとの出会いによって、私の中の弱さを見つめる視点が少しずつ、けれどもまったく変えられていきました。私が考えていた弱さは、弱さではなかったし、私が願っていた強さは、強さではありませんでした。この栗ヶ沢教会でのバプテスマから30年以上が経ちます。相変わらず私は弱いままです。しかし、そんな私の中心に神さまとつながる場所が与えられています。それが私の強さです。
●7月14日 週報巻頭言 入江恵里子
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