御国をくださる神の御心
投稿日時 2013-02-06 17:00:47 | カテゴリ: メッセージ
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【御国をくださる神の御心】マタイ7:21−23
「神の国」とか「天国」と聞くと、わたしたちはどうしても「行く」ところだと考えてしまいます。「行く」と考えますから、行けるように頑張りますし、入る資格のある自分かどうかが気になります。自分の正しさで「行こう」とし、生前の生き方によって「入ろう」とするのです。
けれども、イエス様は一貫して、神の国は「来る」とおっしゃいますし、神の国は「与えられる」と言います。それは父なる神の慈しみと憐れみによって、ふさわしくないような者をも招き迎え入れる「神の愛の支配」なのだ、と。
山上の説教は、「そこに行こう」とするばかりに、神さまをではなく、自分を第一にしてしまう人間の転倒状態に対して、反律命題(あなたがたは、こう聞いている。しかし、わたしは言っておく!とひっくりかえす型)を通して、もう一度、人間をまっすぐ神さまと結び合わせるために語られたメッセージでした。
人間の強い願いが先に立って、「主よ!主よ!」と呼びかけることがありますが、「御心」をたずねていなければ、せっかく届けられようとしている神の国と、すれ違ってしまうことがあるのです。
●2月3日週報巻頭言 吉高 叶
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