空の鳥、野の花、天の父

投稿日時 2013-02-02 15:18:16 | カテゴリ: メッセージ

          【空の鳥、野の花、天の父】マタイ6:25−34   
イエス様は「見よ」とおっしゃいます。空の鳥を見よ、野の花を見よ、と。
私たちは、そこに、焦らず、飾らず、ありのままを生きている姿を見ます。けれども、イエス様がほんとうに「見よ」とおっしゃっているのは、その生命の背後にある天の父の御心、神様の養いのことです。「見えているもの」ではなく「見るべきもの」への視線の転換を呼びかけてくださっています。
私たちは、どうしても見えてしまうものに心を奪われ、思い悩んでしまいます。すべての背後にあり、かつ、ほんとうは人間が常に見るべき方である神様が見えなくなるとき、強烈に見えてくるもの、それが、生活の必要であり、持ち物の不足であり、自己の貧しさです。拡大鏡で見るように、それらは大きく悩ましくなります。
「一日の苦労」。それはあります。日々を生きる計画、それもしていいのです。しかし、背後にある方を見失うとき、必要以上の苦しみが襲いかかります。「一日の苦労」以上の苦しみによって、今日というかけがえのない命の時間が、だいなしになってしまってはいけないのです。
●1月27日週報巻頭言 吉高 叶





栗ヶ沢バプテスト教会にて更に多くのニュース記事をよむことができます
http://kurigasawa.org

このニュース記事が掲載されているURL:
http://kurigasawa.org/modules/newsletter/index.php?page=article&storyid=162