神さまの目線
駅のホームに、手をつないだ母親と女の子が立っていました。女の子は時おり何かを指さして母親に語りかけます。そのたびに母親はしゃがみ込んで、女の子の顔の横に顔を並べ、指さす方を見て笑って話しかけます。微笑ましい光景でした。女の子の目には何が見えているのかしら、と、つい私までもがしゃがみたくなりました。
目線を合わせなければ、その人が何を見ているのかがわからず、何を感じているのかもわかりません。喜びや悲しみをいっしょに味わうためには、目線を合わせなければなりません。しかも、高い方に目線を合わせるのではなく低い方に、強い方に合わせるのではなく弱い方に合わせるのです。
神さまは、私たち人間をこよなく愛してくださいます。それで、私たちの生きる目線に神さまの目線を下げてくださいました。私たちに「もっと上まで登って来い!」と叱咤なさるのでなく、神さまが私たちの貧しい現実、弱い現実に顔を並べてくださるのです。
もうすぐクリスマス。神の御子、イエス・キリストが馬小屋にお生まれになったのは、そんな神さまの愛のしるし、目線の低さをあらわしています。神さまのまなざしと愛は、私たちの人生と共にあります。
牧師 吉高 叶 (11/22 週報巻頭言より)
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